MSXな思ひで
2013 年 5 月 20 日
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MSXな思ひで
アンチファミコン
僕の小学校の頃はファミコン全盛期。けど、僕はファミコンが好きではありませんでした。
天邪鬼なので、人気やトレンドが嫌いな少年だったのです。
そのお陰でMSXと出会えたのですが(笑)
MSXの連れ
小学5年生くらいかなぁ。毎週土曜日に家に遊びに行く友達がいました。
その子のうちにMSXがあったのです!
衝撃的な出会いでした。
あの頃は、土曜日がたまらなく好きだったなぁ。
MSXとの出会い
MSXとの出会いは、前述したように小学5年生くらいの時の友人。あ、もう一人いた。今思い出しました(笑)
その子は、プログラム組んでいた気がします。
あれ?それじゃあ、こっちのほうが先なのか??
僕のMSXの歴史
僕のMSXの歴史は…ていうか、もうおぼろげだぞ。もう30年前ですからねぇ。
確かMSX1→MSX2ディスク無し→MSXFDDユニットだった気が。
MSXの画面
あの頃はMSXの画面がとても好きでした。電源投入次のMSXのロゴはもちろん、あの青地に白の画面。
MSX-BASICの初期画面もいいですね。
「12431Bytes Free」って出てくる画面ですね。
あれを暗記できるほど転写してたり(笑)
MSXのロゴ
MSXのロゴもやっぱ最高です。M・S・Xが繋がっただけのロゴですが、子供心に憧れていました。
特にMSX2になって、起動画面でグィって出てくるのは痺れたなぁ。
MSXのロゴもご多分に漏れず学校の机にずっと落書きしていました(笑)
Mファン
あの頃、MSXの雑誌ってMSXマガジンかMSX・FANの2誌だったと思います。僕は、MSX・FAN派でした。
BASICのプログラムがたくさん載っていましたし。
中でも、1画面プログラムが楽しみでした。
MSXのSCREEN0、WIDTH40の1画面に収まるゲームですね。
1画面に詰め込むので、行番号内にぎゅうぎゅう詰めのプログラムばかりでしたが。
けど、お手軽に入力できて、ゲームもできるので良かったです。
なによりも、1画面でゲームが出来るのなら、僕にもできそうだったのが魅力でした。
Falcom
日本ファルコムといえばMSXが全盛期だった頃は、PCゲームの超人気ソフトハウスでした。(今も人気ありますけどね)
いや~、中学生でしたがファルコムに入社するのに憧れましたね。
まぁ、ファルコムに入ることはなかったのですが、人生を変えた存在です。
音楽もプログラムもファルコムのお陰で始めたようなもんです。感謝!
あと、パッケージを開けた時のFalcom独特の良い香りは何なのでしょうか?
ワザと??(笑)
T&E ソフト
MSX全盛期にFalcomと並ぶくらいの人気だったのがT&E SOFT。HYDLIDEシリーズやDAIVA、LAYDOCKなど独特のゲームを出していたソフトハウス。
Falcomもそうでしたが、ゲーム音楽も魅力的でした。
そんなソフトハウスが僕の地元名古屋にあったのは誇りでした。
今はないのが残念です。
ケッタこいで大須へ
ケッタというのは、名古屋弁で自転車のこと。ケッタマシーンということも(笑)
中学校時代は、土曜日の午後は自転車こいで大須にいっていました。
おこづかい握りしめて、中古のPCゲーム屋さんに毎週通っていました。
たしか、ゲームセンターの2階にあって中京マイコンっていったような。
いやぁ~、あそこはパラダイスでしたね。
MSX以外にも、PC-88、PC-98、X1、FM-77、X68000用のソフトがギッシリ!
あの頃のPCゲームの新品相場が7800円。
その半値以下でゲームが手に入るのが嬉しかったです。
三洋堂
これ、うろ覚えなのですが、大須にパソコン専門の本屋がありました。三洋堂だったのは覚えているのですが、たぶん今のパソコンショップΣの前身だったのかな?
今の場所ではなく、たぶん栗田商会があるらへんにあったような。
なんか記憶がおぼろげすぎて、ノスタルジックに浸ってしまいます(笑)
ロゴの落書き
MSXのロゴだけでなく、ゲームのロゴを学校の机によく落書きしてたなぁ。あの頃のゲームってかっこいいロゴが多かった気がします。
イース2、ソーサリアン、ザナドゥ、ハイドライド3、レイドックとか描けましたよ。
あとは、PCのロゴもかっこよかった。
PC-98、PC-88、X1とかもよく描いていました。
まぁ、オタクでしたね(笑)
N-SOFT
MSXが流行っていた頃って、BASICでゲームを作る輩も友達に多かったです。で、自分でソフトハウスの名前をつけたりしていました。
僕は、N-SOFT。
もうセンスが溢れていますよね。
(反対の意味で(笑))
けど、それはそれで楽しかったなぁ。
T&E SOFTみたいな起動ロゴを考えりもしていました。
いい時代だ(笑)
テープレコーダー
MSX1を使っていた時のデータ保存はテープレコーダーでした。いやいや、データレコーダーでしょ?と言われそうですが、テレコでした(笑)
データレコーダーを買うお金はなく、テープレコーダ…というかラジカセに繋いでいました。
で、「ピーーーーーガ」ってやっていました。
BASICのプログラムを打ち込んでは「ピーガッ」でした。
BASICのセーブロードは「CSAVE””」「CLOAD””」。
マシン語は「BSAVE””」「BLOAD””」でしたね。
MSXのゲームはカセットだったので、この煩わしさがなかったのが幸せです(笑)
ディスクドライブ
MSX1からMSX2に変わっても、しばらくテープレコーダで保存していました。FDD(フロッピーディスクドライブ)搭載の機種は高嶺の花だったんですよね。
MSXが低価格とはいえ。
で、途中からFDDユニットを買ってもらいました。
ROMカートリッジから太いケーブルが出ていてFDDにつながっているマシンです。
今考えると結構な大きさです。
タバコのカートン2つ分くらいはありましたよ。
それでも、フロッピーディスクになったのは嬉しかったなぁ。
ゲームミュージック
ゲームミュージックにハマったのもMSXのお陰かな。FalcomとかT&E SOFT、コナミとかナイスなゲームミュージックが多かったんですよね。
ちなみに僕が初めて買った音楽テープは「HYDLIDE3」でしたよ。
中学校の修学旅行にこっそり持って行って、寝るとき聴いたっけ(笑)
ベーマガ
今ベーマガといえは、ベースマガジンだそうですね。しかし、僕らの世代のベーマガはマイコンベーシックマガジン。
いろいろなPCの機種のBASICプログラム投稿のリストが載っていました。
当時のパソコン少年・少女はベーマガをキラッキラッした目で読んでいました(笑)
山下章さんやYK-2などの有名なライターが数多くいたのも当時ならではかな?
山下章
山下章さんといえば、ベーマガのライターだけでなくゲームの攻略の達人でした。パソコンサンデーというPCの番組にでていたり、チャレアべという攻略本も書いていました。
山下さんがメインMCのPCゲームイベントも行ったなぁ。
YK-2
ベーマガのライターのYK-2さん。知る人ぞ知るファルコムの黄金期の音楽を担当した古代祐三さんです。
ゲームミュージック好きには憧れの存在でした。
山下章さんと一緒にPCゲームのイベントをやっていて、自転車こいでいったのはいい思い出。
YK-2名義のサイン持っています!
今も多分。。。
僕とプログラミング
僕がプログラムと出会ったのがMSXでした。BASICというプログラム言語は、今でさえ実用的ではないと言われています。
けど、すぐに入力した結果が出るというのは、とても魅力的だと思います。
プログラムの世界に興味を持つきっかけになるのではないでしょうか?
今でも、Windowsで気軽に扱えるBASICがあればいいのに。
VisualBasicはまたちょっと違うみたいだし。。。
大須のなつかしのお店
名古屋の電気街「大須」。今も魅力的な街ですけど、25年前とかはもっとキラッキラッしていた感じがしました。
PCのショップが多かったんですよね。
I2・中京マイコン・アメ横ピル・カトー無線(矢場町だけど)とか。
中古のPCゲームがおいてある店は、とにかくワクワクしました。
今もPCショップたくさんあるけど、当時のとはぜんぜん違う感じですね。
地元のお店
実家は、名古屋市緑区。当時パソコンが置いてある店は、少なからずありました。
栄電社とかパソコンショップメルバとか。
栄電社は、いろいろな8bit16bitPCが置いてあって楽しかったです。
メルバは、PCゲームのデモがあったり、実際に遊べたりしたので楽しかったです。
休みの日や夏休みはよく通っていました(笑)
ネクラ、オタク
当時のパソコン少年は、まずオタクと言われました。僕なんか卓球部だったので、さらにネクラと呼ばれる存在だったのでは?
けど、今となっては、PCできるのって武器だし仕事でバリバリ役に立っています。
(卓球も今はぜんぜんネクラじゃないですし)
なんだったんだろうなぁ。あの頃の偏見って(笑)
オールドゲーム万歳
というわけで、今でもオールドPCゲーム大好きです。今のグラフィックバリバリもいいけど、なんかワクワクしない。
あの頃の8bitゲームって、なんか魅力がありました。
グラフィックも音楽もショボかったかもだけど。
それがまた想像力を掻き立てられたのでしょう。
まぁ、今みたいに刺激に慣れすぎた時代とは違い、毎日が刺激的でした。
というと懐古厨みたいだけど、戻りたいとは思いません(笑)
今は今という時代の中にあるMSXが好きなのかもしれません。
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